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Jazz Yatra(ジャズヤトラ)

  • shigeru omura
  • 2023年12月26日
  • 読了時間: 2分

Jazz Yatraは1970年代後半にインドのNPO Jazz India が設立した国際ジャズフェスティバル。強力な設立メンバーの貢献でこの極めて異色なイベントが実現した。設立メンバーの中心にはソニーロリンズ、ラビシャンカール、メニューイン、ズービンメータ、渡辺貞夫などがいた。インドの発起人はニランジャン・ジャベリ氏で、自分が経営していた化学プラントを売却して設立した。2年に一度、ムンバイ市(旧ボンベイ市)で開催された。最大の特徴はジャズ界のトッププレイヤーとインド音楽を出合わせることで、正に化学反応と言える。しかもジャズプレイヤーはノーギャランティで出演を承諾した。インド音楽の旋法、演奏技術、インド哲学、インド文化に触れる事は、ジャズプレイヤーにとっても極めて重要なイベントであった。実際、ジャズプレイヤーとインド音楽演奏者とのジャムセッションが沢山行われた。不思議なことにほとんど同じ入り方をしていた。最初にタブラが数小節提示する。それをシタールが引継ぎインプロビゼーションする。タンブーラが色合いに変化を与える。これはジャズのインプロビゼーションの手法と全く同じであった。この団体の日本側の窓口業務を20年間行った。日本で代表に任命されたのは東京芸大教授の油井正一先生だった。彼は有名な”スウイングジャーナル”誌の編集長で、内外のトッププレイヤーの尊敬を集めていた。温厚な人柄にはどんなプレイヤーも惹きつけられリスペクトしていた。油井先生は大物ジャズプレイヤーが来日すると、演奏会場の楽屋を訪ね、次のJazz Yatraに参加しないかと薦めてくれた。このような機会に私も数回同行し、どんなプレイヤーも油井先生の申し出に嫌な表情をしなかった。本当に偉大な人物であった。キースジャレットも楽屋を油井先生が訪問し翌年参加してくれた。彼は身長はさほど高くないが、ステージ上でピアノの演奏が始まると巨人のような圧倒的な存在感があった。渡辺貞夫氏も数回参加してくれた。インドの聴衆は彼のボサノバが大好きであった。

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